痛みは生体に極めて不快な感覚を引き起こす。痛みの経験は心に恐怖感を引き起こし、二度と味わいたくないと思わせる作用がある。なぜ生体には痛みという不快な感覚が備わっているのだろうか。
人間痛い思いをすると同じような状況を避けることを本能的に学ぶ。動物でも痛い目に合うと反射的に人や物を避ける。痛みは生体が危険を回避するためのシグナルと見ることができそうである。生命の存続をはかるための生命に直結した感覚であることが見えてくる。
一方で痛みがあまりにも強いため日常生活をきわめて不快にする場合もある。例えばリウマチや変形性膝関節症、癌による痛みなどがある。それらは病気の存在を主張し、何とかしてくれるようにわれわれの意識に訴えているようである。癌の場合は手術や薬によって癌をのぞくことができる場合もあるが、進行癌であれば病気を排除できず、持続的な鎮痛処置を施すことは緩和ケアーが一般化してきた現状ではよく知られている。また腹部の痛みなどは内臓の病気が危険な状態にあるので早急に手を打つようにという内臓の訴えのようである。CTスキャン、MRI,超音波などの画像診断で身体の内部を調べ、異常個所に対して外科治療を含め、適切な治療が行なわれると痛みは消失する。
研修医の頃、痛みの原因が明らかになるまでは絶対に痛みを緩和する処置はするなと厳しくいわれた。経験が少ないときには重大な病気の処置が手遅れにならないように原因究明に全力をあげる基本を見につけるために必要なことと思うが、経験をつんでくると不快な痛みの処置をしながら原因究明を同時に進める余裕も出てくる。
ところで痛みの感覚がなくなるとどうなるか。内科診断学でシャルコーの関節というのが出てきた。膝関節が変形し骨が破壊されたレントゲン写真が写っていた。痛みの感覚が障害される為、関節に有害な負荷がかかっても反射的に痛みをなくし骨組織の破壊を回避するため姿勢を変える無意識の防禦機転が作動しないため、関節が壊れていくことを示していたと記憶している。またハンセン病の場合に細菌によって知覚神経がおかされるため、例えば熱いタバコの火の熱さを感じないため指がやけどしていても本人が気付かないことで組織我破壊され醜形を残す。またアルコールの飲みすぎで固い床に寝ていて、泥酔により身体の圧迫による痛みを感じないため無意識の体位変換をしない。その結果圧迫による組織の循環障害で、筋肉の壊死が起こって四肢の運動傷害が起こることもある。
痛みは不快な感覚であるが病気に対する早急な対応を迫り、有害な刺激を避け、身体の障害を回避する防御反応引き起こす重要な役割がある。
リウマチの痛みについて思うことがある。リウマチは無理を続けて発病し悪化すという印象を私は持っている。リウマチの患者には生真面目で一所懸命頑張る性格の人が多い。痛みで活動が制限されると痛み止めを使ってでも頑張ろうとする。すると更に痛みが増し、炎症が悪化するという悪循環に陥る。痛みは頑張りすぎのサインだから、痛みがひどくならない程度に活動を制限すべきだと先回りして説明する。なぜなら多くのリウマチの人は痛みが楽になったらこれまで以上に頑張ろうと思っているからである。鎮痛剤も安静にすることを前提で使わないと逆効果で、これまで以上に炎症を悪化させることになるので注意を要する。痛みへの慎重な対応が必要である。
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体